HOME>コラム>「神田学のおケイコ」Vol.13−紫と男は江戸! 藍と美人は紺屋町に限るなり
江戸の美意識の「粋」。 横文字にするとエスプリやシックに置きかえられるようですが、なんとなくシックりいかない気がします。
この「粋」には
意気地・媚態・垢抜け
の三要素が必要であり、江戸っ子と田舎者とを区別する符牒とされていたようです。
「こざっぱりとしている「洗練された色気」
「人情や世情に通じている」
「金銭のことをやたら口にせず、財力を誇示しない」
「未練たらしくない」
ヒトが「粋」。
また
「正義感が強いこと」
「色が白いこと」
「スタスタ早足で歩くこと」
「渋い色」
が「粋」でした。
特に渋い色とは、ねずみ色などのグレー系、茶系、紺や藍などのブルー系、紫系、これらが粋とされました。
「紫と男は江戸に限るなり」という川柳にもあるように、歌舞伎が江戸で人気を博した頃『助六由縁江戸桜』で助六が締めた鉢巻きの色も江戸紫でした。
このように反物の色柄にも渋い色がよく用いられたといいます。
また粋な人が好んで着た模様は縞、特に縦縞だったとか。浮世絵美人の着物の柄をみてみると、たとえば三本の筋を縦横の格子にした「三筋格子」は渋みの中に粋を感じさせます。
他にも縞模様の上に空飛ぶ雁で軽やかなリズムをつくりだしている「雁金」、擬人化された人間の姿で踊る「蝙蝠(こうもり)」など。着物の意匠の競演は、構図や色の大胆さに着目しがちな浮世絵の通な鑑賞方法かもしれません。
歌川広重の『神田紺屋町』には、高い物干しから垂れる浴衣地が風にたなびくさまが清々しく描かれています。『狂歌江都名所図会』のなかには「紺屋町近くにありて藍染の川も流れも水浅黄なり」という歌が詠まれており、染物の布を川で洗い流していた往時のさまをほうふつさせる描写もあるほど。
かつては江戸を代表する藍染の浴衣と手拭いの大半は神田紺屋町一帯の染物屋で染められており、「その年の流行は紺屋町に行けばわかる」といわれました。
神田紺屋町は江戸の流行の発信地であり、「場違い」という言葉は、神田紺屋町以外で染められた浴衣や手拭いのことを江戸っ子がそう呼んだことに由来しています。
浮世絵美人にウツツを抜かして「紺屋の明後日」に「相(藍)済まぬ」なんてことにはなりませぬよう、くれぐれもお気をつけください。
文・写真 ゆかわ・けいこ
/北海道工業大学情報デザイン学科専任講師。神田学会会員
タウン誌『KANDAルネッサンス』79号(2006.10.25発行、NPO法人神田学会)
(07.02.02)